ブログ 2023.09.01

2023年8月15日・終戦記念日に太平洋戦争の戦没者慰霊碑を参拝して。

鎮守神社入口右側に建つ太平洋戦争の戦没者慰霊碑です。裏側には戦没者の氏名が刻まれております(2023年8月15日)。

鎮守神社入口右側に建つ太平洋戦争の戦没者慰霊碑です。裏側には戦没者の氏名が刻まれております(2023年8月15日)。

2023年8月15日(火)。太平洋戦争の戦没者の慰霊碑を参拝しました。国からの赤紙と召集令状が来て太平洋戦争の激戦地へ戦士として海を渡った人々。国のために命をささげた若き戦士達。戦後の昭和36年に生まれ戦争の現実も知らない私が言葉を書くなんてとんでもないことですが、エイノおばあさんから知らされた言葉はどの言葉も衝撃的な言葉であり、驚きの人生ばかりでした。旦那様が太平洋戦争の戦地に向かって仙台に赴いた時に見送りに、サワグルミの皮で作った足ナカを履いて当時約60㎞先の会津田島駅まで歩いて行かれた話は驚きでした。サワグルミの皮で作った足ナカを夕方暗くなった会津田島町手前の永田橋の下の川の水で洗った時に流れた涙の話は一生涯忘れません。旦那様が戦争に向かうことが決まり、どれだけの思いで険しい駒止峠も含む約60㎞の道のりを歩かれたことか。私達が苦労だの苦しいだの人生が辛いだのというようなことは、先人の人達のとてつもない困難を乗り越えて来た人間としての逞しさからすれば、ちっぽけなゴミにすらならないことであると思います。戦争の困難を乗り越え、さらには、戦後のとてつもない困難を乗り越えて生き抜いた先人達。エイノおばあさんの一言の言葉のとてつもない重みをいつも感じていた自分ですが、想像を絶する困難から心と魂を磨いてきた人間にしか見えないものをエイノおばあさん達は心の底に持っていたのだと思います。

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